2014年03月14日 (金) 18:31
前に鎧武で悪意についての話がありましたけれど、悪意は周りへ意識を向ければいつどこで現れてもおかしくはないものですよね。
一次、二次をやっていると、時々、悪意だけの言葉が書かれたりすることがありました。
言葉の悪意といえばいいんでしょうか?
その悪意に対して自分は一度嫌になって筆をおることまで本気で考えていました。
普通ならそこまで行くこともないんでしょうけれど、僕の場合、色々とお世話になった人からの一言があったから余計に追い詰められたのかな?
その時は色々な人にお世話になって、今もネットに小説を投稿しているわけですけれど、人生何があるかわからない。
悪意に関しては自分はどちらかといえば、勧善懲悪とかが好みだから疎い、小説かいていてもうまくかけない、一番の悩みどころかもしれません。
扱いにくい悪意が自分へ向けられた時、
このときに自分がどういう選択を取るかで、やっぱり変わってくるんですよね。
もしかしたら、自分の場合は筆をおっていたかもしれない、こういうことを二度とせず、違うことをしていたかもしれない。
そんなことを時々、考えてしまいます。
人間が生きていくうえでこの厄介で難しい悪意とどう向き合うか、人間としての課題の一つともいえるなぁと近頃思います。
こんなこと書いて、コイツ大丈夫か?とか思う人いるかもしれないですけれど、ふと思ったことを書いているだけですので、文がグダグダです。
作者のメンタル面が滅茶苦茶になっているというわけではないのであしからず。