2018年01月08日 (月) 16:45
ある場所に“ドルイドの森”と呼ばれる森がある。
広大な土地を埋め尽くす森林であり、熱帯地域でもなく、降雨量が特別多いわけでもないその場所に何故それ程の森が形成されたのか公的資料の一切がない事から、「森に住む魔術師ドルイドが欲に駆られ支配地を増やそうとした」という酷く侮辱的な世間話から名付けられたのだという。
丁度、生命氏族の支配領域と未開地域とを二分するように広く長く在るその森は、未開地域より侵攻する魔獣の群れを抑える役割を果たしているのだと主張する学者もいる。
これは、まだドルイドの森がそう呼ばれる前のこと。
まだ森が無く、青々とした草原が広がる無人の平野だった頃の話だ。
見事な手綱捌きで、緑の大地を白馬と共に駆ける青年の姿があった。
落ちぶれた元貴族が、領地を離れ遊牧民になるというのは、よくある事ではないが、特段珍しい訳でもなかった。
恐らくはこの青年もそういった類の人間なのだろう。
乗馬の技術を持つ平民は多くいるが、一目見て名馬と分かる美しい白馬を乗りこなす平民というのはそういない。
青年は、無人の平野を駆けるには貧相な身体で、しかし何一つ危険はないと信じているように野草を掻き分け馬を駆る。
「おーい!フィルー!来たぞー!」
青年はある地点に着くと大きな声で名を呼んだ。
苔むした岩が寂しくその声を反響させるが、応える者はいない。
人影すらないこの場で青年は誰を呼んだのか…
「なんだ…あいつまた寝ているのか?」
呆れた表情で、青年は岩の側にある木に腰掛けようとする。
──途端物音一つせず岩の陰から青年へと拳が迫る。
「っとぉ、そう来ると思ってたよ」
「ちっ」
背後から迫る拳を、青年は自身を反転させる動きのままに流し、自らに襲いかかった者と相対する。
ゴワゴワと手入れなされていない髪、衣類の一つも身につけないその裸身は、青年の前だというのに何処も隠そうとしない。
貧相な胸と、筋肉質な身体からは色気の一つも感じられないが、どれだけ見慣れても色褪せない美しい女性だった。
「あーあ、出会ったばっかの時はオレにボコボコにされていたってーのによ」
「ふふん、私だって日々精進しているからね」
「落ちぶれ貴族サマが偉そーなもんだな」
「あれは父様の代の失態だし私には関係ないだろう!」
会話だけ聞けば男女が逆のような言い合いを続けながら、2人は組手を続ける。
と言っても、青年は女性より繰り出される攻めの手をいなし、流し、防ぎと只管に守りに徹しているのだが…
「…だけどフィル、いつも疑問に思うんだけど“こんなとこ”に1人で詰まらなくはないのかい?」
僕は息が詰まりそうだよ、と芝居掛かった口調で余裕を見せる青年が癪に触ったのか、フィルと呼ばれた女性の攻めが激しさを増す。
「人間と木妖精の価値観を一緒にすんなっつったろうが」
「わっ、とっ…ほっ!」
「オラオラどうしたアカツキ!防ぎきれてねえぞ!!」
フィルが言うように青年──アカツキの守りを抜けその身を掠める打撃が増え始める。
それでも余裕の表情を曇らせなあアカツキにフィルは焦りを見せ始める。
見かけの展開とは異なる軍配だ。
「ッ、これならどうだ!」
大きく振りかぶるテレフォンパンチ……に見せかけた拳の反動を利用した足技。
振り下ろす拳を勢いのまま地面に手をつき、上体を捻りながらカカト落としを円軌道で食らわせる。
これまでの彼女からは考えられないトリッキーな攻撃手段であり、アカツキもそれに驚いたのか避けようともしていない。
決まった、とフィルは確信した。
実際、このような手段で足技を繰り出したところで、相手を面喰らわせることは出来るだろうが、大した攻撃にはならない。
況してや、刃物などの武器も装備していない裸体の女性が行ったところで当たり所が悪くない限りダメージも少ないだろう。
しかし、彼女は人間ではない。
ドライアド、木妖精と呼ばれる植物の変異形態であり、その身体能力は高い。
そんな彼女が繰り出すのであれば有用な攻撃手段だっただろう。
「よっと」
「なぁっ!?」
それも全て攻撃が決まっていれば、の話ではあるが
アカツキは彼女の繰り出した足技に対し、冷静且つ慎重に対応した。
円軌道を描く足の動きに合わせ、いなすのでも防ぐのでもなく腕を回し、寝技のような体勢へと持ち込んだのだ。
空いた手でもう片方の足首を掴み、両足で彼女の上体を束縛する。
フィルの身体能力が優れていようと、こうまで縛られていては力を発揮するだけの余裕すらない。
現に、顔を真っ赤にするほど力んで暴れているが、アカツキも必死に抱きついている為、逃れられる気配はない。
「おっ、お前!なんてもんオレの顔に擦り付けてやがる!!やめろ!!ていうかお前の顔はいまどの辺にあるんだ!?離せ!今すぐはーなーせー!!!」
「ちょっ!フィル暴れんなって…あっなんか凄いいい香り」
「このど変態野郎ー!!!!」
どうやら違ったようだ……