【閲覧注意】 現代のフェミニズムと私について
2021年10月15日 (金) 05:53
○きっかけ

 ここ2年程度。西向くはリベラル言説と呼ばれるものを漁っていました。
 きっかけはフェミニストを自称する作家が性的な表現についてやかましく発言していながらも、バチバチにセクシャルな作品を投稿しているダブルスタンダードな書き手を確認してからです。
 以前から交流のあるお方であるので、どういった考えなのかうかがってみるに、内容が支離滅裂であり、人が変わったように罵倒を繰り返すような言動にひどく驚いたのを覚えています。
 人をここまで激高させるフェミニズムとは一体なんなのか。今後の創作においても何かしら活用できるものがあるのではないか? そんなことを思いながら、調べはじめました。

○顛末
 その方はもうアカウントを削除して、いなくなってしまったので、詳細はわかりかねますが。
 あの人の激高は、定期的なカウンセリングを要するような精神状態の人が見せるディフェンシブオフェンス(積極的防衛)であったのだろうと今は結論付けています。
 しかしながら、彼女がカウンセリングを要する程の状況に追い込まれたのも職場内でのセクハラが問題だったと聞き及んでいます。
 そこから、フェミニズムという思想を知り、ご自身の回復のためにもフェミニズムを支えとし始めたということでした。
 
○類似

 これらのケースを前に「最近似た人いるなぁ」と思いながら、別垢でフェミニズムをよく観測しています。
 木村花さん関連の誹謗中傷問題で、現在進行系で炎上している方ですね。
 アクティビストかつフェミニストを自称するユーザーがいます。
 自身の性的な被害の回復や自尊心を取り戻すために、フェミニズムに心酔した。という案内がありました。立派なことです。知識を収集して、客観視する。大事ですね。
 そのアカウントの特徴としては攻撃性が著しいのです。気に食わないアカウントがあれば痛罵し、引用ツイートで晒し上げ、通報を依頼する。といった運用方法ですね。

「彼ないし彼女こそが女性の敵であり、差別的言動を行うアカウントです。通報をお願いします。皆さん連帯しましょう!」

 彼女はかつて、踏まれた傷を癒やすために誰かを踏むことで自尊心を回復せんとしています。

「やられたからやり返しただけだ」という主張でした。

○賛意

 私もどちらかと言うと、そっちの「応報的な主張」を支持し、実践するタイプであります。 
 気に食わないヤツが殴りかかってきたら殴り返す。
 煽ってきたら、煽り返す。
 同じ土俵で、同じロープで、プロレスをするタイプなので、場外乱闘にならない程度には殴り合うタイプです。

 被害者回復の方法にはこういったものがあるのだなぁ。と感心しています。

「男に踏まれてできたあたしの傷を癒やすのは、誰かを踏んだときの快感だけだし、突発的に理不尽に言い返せなかったあのときの屈辱を回復する神聖なる儀式」なのでしょう。

 踏まれた屈辱や理不尽な経験を思い出しては歯噛みする。そんな怒りを誰かにぶつけて回復する。その様はレイプサバイバーの特徴的な振る舞いにも通じています。

 ○創作への影響

 これらに影響を受けて、作ったのが #掃きだめの島 でもありますし、基本的な要素でもあります。
 それらの応報的な主張は必ず更に大きな力で支配されるものです。そうやって、みんな喧嘩して、誰が一番強くて、誰が国を治めるか。といった争いを繰り返しました。

 昨今の主張の諸々を見たときに、自身の尊厳を取り戻すために誰かをボコボコに踏みつけるという土俵に立ったならば、誰かに踏みつけられる将来をそこに予想します。
 
 #掃きだめの島 においては、それらの土俵に上がらないことを回復の一つとして示しました。それが正しいのかどうかなんてのはわかりません。#掃きだめの島 の前進ともなる『迷子日記』においても、パワーフォビアとしての姿勢を示しました。娯楽小説とかそういった姿勢から見ると正解ではないのだと思います。驚異を前に尻尾巻いて逃げるキャラクター達なんてのは。
 多くの人間が前向きな姿勢で新天地を目指したわけじゃないでしょう。なにかに追われるようにして、新天地を目指した人もいるでしょう。争いに敗れて、もしくは争いを嫌って。
 そういった拡散を繰り返して、ホモ・サピエンスの私達は命をつないできたのでしょう。誰も互いを傷つけなくていいように。
 地球の広さには限りがあって、拡散に陰りが見える現代に投げかけるべきSFはなにか。そういったものをまた腰据えて考えてみます。
 
○リベラル作品の傾向

リベラルをお題目に無双するタイプの作品
異世界で現代知識を活用して無双するタイプの作品

前者がリベラルで、後者が保守的であるという言説があります。
というかそんな言説を読みました。

前者の物語で言えば、ちょこちょこポリコレアフロなどと揶揄されながら、ネタにされてはいますが。『ミステリと言う勿れ』(今度ドラマ化されますね。どんな風になるんでしょうか。楽しみです)とかのように、ポリティカル・コレクトネスの要素で旧態的な価値観をボコボコにする。みたいな発想のものでしょうか。

これらのことを「リベラル的に正しい! 皆こうあるべきだ!」といって、礼賛する人となろうの異世界転生もので現代知識でどうたらこうたら。といった振る舞いに通底するものは「啓蒙的」であるということです。

この「啓蒙的」なキャラクター達は物語上正しい存在として振る舞い、成功を収めます。未開の地を開拓します。

それらの「正しいであろうものが、悪いものを駆逐する」という正義の甘い蜜がべっとりと目立ちます。

政治の主張をする。右派も左派も「正義」が大好きで、それらを麻薬のように取り込んでいる。正義ポルノとでもいいましょうか。そういったものがスナック菓子的に受けるのじゃなかろうかと邪推し始めました。

誰か、こういったものを専門的に研究している人がいれば師事願いたいところですね。

○まとめ

 右も左も「正義感」というポルノに酔わせたもの勝ちというのを感じ取りました。しかし、それらに乗っかって、似たような砂糖たっぷりの正義感ポルノを作ってもよろしいのでしょうし。ちょっとそこから足踏み外したもので砂かけるような失礼な作品を作ってもみたいところです。
 
 ネット上に跋扈するフェミニズムの皆さん及び保守陣営の皆さん。
 おそらくあなた達が後生大事にしているそれらの「正義感」はあなたを満足させるためのポルノになっていませんか?

 そういったものへの嫌な鈴として、なにか書きたいなと思っています。

 炎上しないことを願いながら。これらの気づきや発想、導きに大きな貢献を果たしたペンパルに感謝も示します。
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