2017年01月14日 (土) 23:33
読んでくださった方、ありがとうございます。
本当に何も考えずに書いたので、オチもクソもない駄文です。思いついた時点でクソだったので、そうなると思ってました、えぇ。
自分で書いた作品なので、嫌いではないですけどね、読む側からしたらナンジャコリャの作品だと思います。
アイデアが出てきた元は某何とかパンマン。
ただ、元のアイデアから少し逸脱してるので、元のアイデアは少し工夫して書いてみたいなぁと思いますので、そのうち公開した時には楽しんでいただけると嬉しいです。
さて、少し話は変わりますが、とある方の活動報告のコメントで見かけたものに共感した部分。というより、私自身感じている部分になりますが。
正義とはなんぞや、悪とはなんぞや。
私の中でこれは≠ではなく、≒だと考えます。
=ではないんです。≒なのです。
それぞれが正義であり、それぞれが悪である。これは私の考える善悪の根幹です。
視点を変えればそれぞれに言い分があるのです。でもこれはあくまでそれぞれの主観です。つまり、第三者から見た時、私の場合は両者の意見を聞いてみて判断します。両方が同じくらい正しく、同じくらい悪い場合がほとんどですが、やはりどうしてもどちらかに傾く時があります。なので≒なのです。
何が書きたかったかというと、今後も含め、私の作品で善悪が出てくると思います。
それは、“読者という第三者”が見た時、必ずどこかで不快感を覚えるかと思います。これは絶対でしょう。
私は読む方全てが納得できる作品を作れる自信はありません、思想を持つその世界の住人を描く上で、必ずどこかで醜さを入れてしまうからです。
綺麗事で全てを片付けるのは簡単です。ですが、そんなものは予定調和であり、リアルではありません。
そういった意味で、私の作品を見て不快になった方はある意味では私の思う通りの反応をしていただいているのかもしれません。作家としては間違ったやり方かもしれませんが……
できれば、それでも作品を愛していただけることを深く願います。
そして、こういった想いが集まった作品として、新作候補に『勇者は犯罪者?』があります。
他の作品もあるため、出来上がるのはまだまだ先だと思いますが、この文を読んだ上で見かけた時にはよろしくお願い致します。
≒ですよん。イコールではなく、限りなくイコールに近い。
身もふたもない言い方をすると、どっちもどっち。
短編のラストの投げっぱなし感、誰だあんなの書いたのは←
長編にする場合は、食べられることで周りにバフを与える主人公ってのをやってみたいんですよね。