2011年3月11日、三陸沖を震源にマグニチュード9.0とされる『東北地方太平洋沖地震』が起きました。
2011年3月13日、宮城県や県警などが、犠牲者の数は「万人単位になることは間違いない」との見方を示しました。
地震が起きて30分ほど経ってから、空前の規模を持つ大津波が東北地方沿岸部の町を襲うテレビ映像を、僕はリアルタイムで見ていました。
その時は、きっとほとんどの人は避難を済ませた後で、津波が蹂躙しているのは無人の町なのだと、愚かにも信じていたのです。
でも、そうではありませんでした。
「万人単位の犠牲者が出る見込み‥」
この発表を聞いた時の悔しさと怒りを、文章による叫びとしてここへ記します。