田中敏夫、五十八歳。
四十年間、家族のために働き続けた真面目な会社員だった。
ある朝、忘れ物を取りに帰宅した彼は、玄関越しに聞いてしまう。
──コーヒーに混ぜた毒。
──不倫相手との未来。
──「さっさとくたばってほしい」と笑う娘の声。
心を砕かれたまま駅へ向かった敏夫は、線路に落ちた少女を助け──その命を終えた。
死後、光に包まれる中で彼は、一柱の女神と出会う。
「あなたの人生は、本来であれば穏やかで幸福なものとなるはずでした。
ですが、何者かの手によって、その道は歪められてしまったのです」
女神・アルテシミアは、せめてもの償いとして“第二の人生”を授ける。
しかし、その後を託された配下の女神・アンブロシアが突如として態度を変える。
「転生枠? そんなもの、私の愛する勇者シルヴァン様に決まってるでしょう。
お前のような汚らしい男に、使わせてたまるものですか」
その言葉と共に、敏夫は未開の地へと追放された。
手元に残されたのは、ノートPCと黒革の名刺ホルダー。
名刺を2枚挿せば、職業スキルが発動するらしい。
「……では、今回は“狩人”と“剣士”で……ああ、はい、魔物相手とはいえ、失礼いたします……」
戦う姿勢も、話し方は変わらない。
だが矢は速く、斬撃は鋭く、トラップは周到。
「素材の回収も丁寧に行いますので、何卒ご容赦を……」
控えめな元係長、見た目は若返っても中身はおっさん。でも、異世界ではわりと強かった。
――『田中敏夫、辺境で国をつくる』
敵を倒しても、礼は忘れない。恐縮異世界ライフ、開幕。