2017年07月18日 (火) 01:53
「単位認定試験が近づいているんだ」
「鴉野さん。勉強しましょう」
「カラーコントロールをいろいろ見ている」
「勉強しろよ?!! 何化粧の勉強しているのですかwww」
※鴉野の認識的には変装です。
「今期は『色を探求する(再試験。統合で今季でなくなる)』『色と形を探求する(左記統合だがほぼ別物)』『日本語アカデミックライティング』『音を追及する』『移動と定住の社会学』『睡眠と健康』『古事記と万葉集』『ファイナンス入門』しかとっていないのだが」
数学わからんかったらファイナンスはわからん。マジでわからん。
わからんと言うことはカンでカネを運用しなければいけない。
「めっちゃ怖くね?」
「あなた、ソシャゲで使うのと一緒と言って株に突っ込んでいるだけでしょう」
一万突っ込んで毎月無料ガチャ。レア取るために一二〇万つっこむのと同じ! 少なくとも確率論を知らなかったら鴉野は今だ宝くじを買っている。
「勉強と言えば古事記と日本書紀で記述が違いまくる件について」
「比較すりゃ真実見えるでしょ」
それ、国語能力必要でないかな。『新聞には嘘しかない』と言っている人に限って既存誌が如何に苦労して裏取りしているか無視しているぞ。記事と小説は違う。『感情を排してわかりやすく事実を書き連ねる。むしろ起承転結とか邪魔』なんだけど。
「ダイナミックに描くとめっちゃ話を盛りたくなる」
「貴方茶壷運びでズンバラリとかシャレにならない話を面白おかしく書いてますものね」
アレ事実らしいがまあいい。暴れまくったら風呂入って寝たくなるけど。
「実は末梢神経を温めるのは良いが人間は睡眠時体温が下がるので手袋や靴下は〇でも長風呂でクソ熱いのに浸かるのは高品質の睡眠にはよくないし、アルコールがぶ飲みして風呂なんて論外らしい」
「……やってたんかい」
気持ちいいからな。
「人間には五感があるというけど、実際の人間の感覚は多岐にわたる」
「鴉野さん、だいたい嗅覚味覚触覚聴覚視覚順に描写してますものね」
共感覚と言ってこれが人間の脳みそでは混じっている人が一部いらっしゃるのだがあえてそれを取り入れる表現が文学には頻出する。
「積極的に取り入れると正直書く人読む人の負担が激しいけど要所で使えば決まるよ」
「あ、形に関しても文化等の関係がありますがこのへんはスルーしましょう」
虫の声を日本人は『声』とか『音色』と判別する文化があるけどよその国のひとには『雑音』もしくは『聞こえない』らしい。
「緑を『青』としたり人間のデッサン能力は脳みそのバイアスがかかっている」
「ありのままに描写しようとすること自体が難しいわけですね」
実際、写真の上手い人は撮り方もそうだけど修正もうまい。
ただ、デッサン能力高い人は写真に限らず造形も音楽も写真も映像も絵画もメイクも服飾も優秀だよ。
「この色合いはとかこの空気感とかこの時間経過とかそういったのを一色の鉛筆で表現するためにはとか瞬時に判断する能力を磨いているっぽい」
「チートキャラの話されましても」
デッサンは年齢と経験で磨ける能力らしいよ。放送大学の講師の受け売り。
「で、化粧なんだけど」
「ええ」
化粧する人は対抗色、実際は補色と言って髭の青みにはオレンジ。赤いくすみには緑、黄のくすみには紫色とベースメイクを作る。
「知らないというか理解できていないと『髭には髭潰し』『シミに取敢えずこのコンシーラー』ってなる」
「あー。体系化した知識や技術を義務教育でブッこまれていたらそういう間違いは起きませんね」
というか足し算引き算も意外と出来ていなかったりするぞ。人間。
「時給換算して1200円の社員に重要な仕事させず人手不足としてバイトの仕事させていたり。それで人件費人件費ってコントかよ。バイトの給料あげろってか社員がほかの仕事しなきゃいけないならボーナス出してやれよ。バイトに」
「ま、まぁ責任もあるでしょうから一概に……。そ、それにアルバイトさんのほうがお安くつきますし」
「そうか? 深夜残業代とか早朝出勤代とかいろいろあるが定時の限りで考えたら一概に言えんぜ」
そもそもバイトがつかないから社員を入れて単純労働しているわけで。
「まぁ先進国名乗りながらアホホド単純労働者時給が安い我が国なわけだが」
「ええ」
「地域コミュニティに参加できない外国人労働者への搾取が半端ない」
「ですね。研修生だの日系人だの呼んでいますが」
「必死で語学習得してめっちゃ勉強してきたエリートだぞ。本来勉学に励むべき時間をアホみたいな単純労働で費やされたらめっちゃ後で復讐されると思う」
「普通に今そうなっています」
「で、さらにダンピング的に外国人を奴隷労働するので我ら日本人の給料も上がらない」
「そりゃそうでしょ」
学校の勉強は大事だよね。
余談だけど気象予報技能や図面等は中学の授業で教わるけど前者は言うまでもなく未来予測に役立つし、後者は普通に職人の必須技能である。
「だけど日本史! てめーはダメだ!」
「何度も縄文時代やり直しますからね。今の教科書は違うかもですが」
あと、視点が複数無いので比較参考にならん。
「いまだに君が代にプリント張りが蔓延っていた我が母校」
「アカ学校の極端な例の話はするな!wwww」
「とりあえず。新聞とか勉強何故必要なんだと聞かれたら『株で勝てるだろ』ということにしている」
「身も蓋もねえ!?」
「というワケでおれは今から睡眠と健康を学ぶ。お休み」
「寝るだけでしょうが! 試験あるだろ?! おきんか~~~!!」
ぐーすか寝だした鴉野に仮想人格あきれ顔。
「ちなみに、昨今の大学は単位認定だけではなく、平均点評価も重要です。留学とか一流企業のインターン参加に大きくかかわってきますので単位だけ盗ればいいような学習はお勧めできません。読者の皆様はこんな人のまねはしないようにしましょう」
「おやすみー。ぐーぐーぐー」
単位取得お疲れ様です。中村尚裕です。
博打や投資にまつわる資金の回収率は“期待値”で表されていたりしますね。
通常は胴元の取り分が総資金から差し引かれるため、博打では総合的に胴元しか儲からない仕組みになっていますね。よって、プレイヤの得られるリターンの期待値は常に100%を切るわけで。それでも賭けの技量や知識次第では勝ち目が上がるので、儲けを出せるプレイヤも出るには出ますけれど。
中でも“愚か”と言われるのが宝くじ。宝くじは胴元の取り分がべらぼうに多くて、リターンの期待値は実に50%に過ぎないという説もあるようです。
http://rikei-style.at.webry.info/200410/article_4.html
そのくせ結果は完全に運任せというかくじを引く他人任せというか。要は“プレイヤの努力が結果に全く反映されない”というのがミソで、とある有名数学者(確か秋山仁先生だったような)をして“宝くじを買うくらいなら他の博打に資金と労力を回す方がよほど建設的”とまで言わせしめたとか。
なお、他人任せという意味では、私は投資信託もあまり信用してませんが。
「損出しても信託報酬がっぽり持ってくハイエナに任せるより、得も損も自分次第のほうがなんぼかマシじゃ!」という考えですね。
投資も博打も自己責任が基本ゆえ、ならば己を高めて儲けのチャンスをものにする方が納得も行くし自分も鍛えられるというもの――そういう考えです。
例えばそうやって、学ぶ目的が見えていれば、勢い勉学にも身も入ろうというもの。
日本の学校教育ではほとんど見られないことですが。
「これを学んだらこんな得があるよ」という“結論(言わば飴)”が解っていれば、学ぶ過程の意欲は維持しやすくなるものです。
これ、何のことはない、レポートや記事の書き方の基本と同じなんですけどね。
なのである程度社会経験を経てから学んだ方が、かえって身に付く学があるのもまた確かです。
感覚の解放とか時間感覚の加速(物事の進行がゆっくりに見える)とかは、「ここぞ!」というところで綿密に描写すると効果的ですね。
私がこれを学んだのは、『青の騎士ベルゼルガ物語』(はままさのり先生、祝・復刻!)や映画『マトリックス』(ウォシャウスキィ兄弟監督、今は“姉妹”らしいですが)からです。
で、単位。
数さえ取りゃいいものではない、というものではありますが。
「学資が同じなら学ぶもの(単位)の多い方が得に決まっとる!」と言って単位取りまくった変人がここに(笑)。
いえね、高校の頃から執筆を始めた身としては、大学進学の頃には“知識のありがたみ”がある程度解るようになっていたのです。
で、「万物はネタじゃ!」という根性で接してみると、得られる物の多いこと多いこと。
やはり知識のありがたみ、これの片鱗なりと理解していると勉学もはかどる――と考える私でありました。
なお、人材の芽を摘む行為として“ブラックな搾取行為”は愚かだと私も考えます。
参入障壁上げて既得権益を守るより、人材を一人でも多くスタート地点に立たせて、新たな可能性を切り拓く(産業を興すとか)方が結果的に全体は潤うはずですので。
なので今の日本は愚かなモードに入っているなと実感するのでありました。
お互い頑張って参りましょう。
それではまた。