大衆性と個人性、読者マッチングの問題
2018年03月28日 (水) 22:36

 前回の活動報告でマーケティング批判をしたのですが、ただ、アマチュアイズムにも問題がないとも言えないわけで、それは、どうしても作家のエゴイズムが前面に出やすく、読者軽視しやすいという部分だと思います。

 もちろん、いわゆる純粋芸術というか、いわゆる公に発表しないで自分の為だけに創作している人なら、それでもいいのですが、大抵の作家は、他者から承認される事も目的にしていると思うので。
 それに、その部分において、大抵、アマチュア作家の悩みはあると思うので。


 いわゆる大衆性をターゲットにしている作家は、そうした読者の問題は割と簡単に解決可能で、それは、今、流行っている事を、自分なりに解釈してアプローチする事です。
 これは、本質的には、大衆性の解明であり、そうした大衆性を作る時代に対する解釈でもあります。
 そこにおいて、読者が獲得できないという悩みは、単に読者を理解していない、という問題にすぎません。


 こうした、流行を通して、大衆性や時代性にアプローチする方法を、否定している作家は、基本的に、大衆作家ではなく、自己芸術の追求をしている作家だと認識したほうがいいと思います。
 とはいえ、そうした自己芸術を求める作家すべてが、読者からの承認を求めていないというのは、むしろ逆で、ある種の孤高性において、己の価値観を理解する同士を求めるというのは、むしろ大衆作家よりも強烈にあるかもしれません。
 ただそれは、量ではなく質において、読者を求めていると思います。


 自己芸術、いわゆる純粋芸術においては、大衆的な普遍的な美というより、個人的なある極まった突出した美を体現する為に、そうした表現の研鑽を行いますが、ここにおいて、読者のマッチング問題が大きく浮上し、従来のランキングが統計する『普遍的な人気』がまったく通じない、むしろ逆の『アンチランキング・カテゴリー』がでてきます。

 思うのは、いわゆる相互評価グループみたいなのは、こうした『アンチランキング・カテゴリー』に属する作家においては、必要だろう、という事です。
 で、もっといえば、『小説家になろう』はいわゆる商業作家を最終的な目標にしている節があるので、そうした孤高の芸術家にとっては、しんどい場所だと思いますし、ただし、サイトコンセプトからすれば、そうあるべきなんでしょう。

 とはいえ、『需要が少ない作品の為の小説サイト』って、その時点で矛盾しているとも言える訳で、それならば、そうした少ない作家同士で積極的にコミュニケーションをとった方がはやいとは思う。
 ただしそれは、『お互いの個性をどう認め合うか』という部分であって、普遍的な表現とか価値観で考える場所になっては、いわゆる大衆性に呑み込まれるだけだとも思います。

 ただし、読者獲得においては、結局の所、『己のもつ(普遍的なじゃない)美意識を、(他者へ)どう認識させるか』みたいな部分が、どうしても発生する訳で、実は、そこにおいてやはり『大衆性に対する理解』が、必要なんですよね……。
 これは特に『大衆の外にある孤独な自分』を打ち出せば出すほど、『他者≒自分以外の他人≒大衆』になってゆくからです。
 結局、許容可能な他人を考えるとしても、自分という殻を越える必要があるとは思う。
 もちろんそれは、自分という殻を保ったまで、両手を広げて懐を深くする事だと思うし、どこまで深くするのか、広げるかの問題において、逆に、自分のこだわりというものを選別して、純粋化させてゆく話だとも思います。



 一人の読者として、ぶっちゃけて言えば、感動する事、共感する事、というのは、ある種の真実性というか実存性にあって、普遍的な価値でなくとも、存在感みたいなもので担保されていたりする。
 いわゆる普遍的な価値というのは、理屈で説明できるもんなんですが、そうじゃない価値というのは、宿命的な、存在そのもののどうしようもなさというか、運命的な、世界というもののどうしようもなさ、みたいな部分において、あります。
 それは、作家が今、感じている、現在感覚みたいな部分において、ある種の、リアルタイムな生放送的な、臨場感が伝わってきて、喜びも悲しみも、そこに「ある」とわかる感じがあります。
 もちろん、それは、作家と読者の相性の部分もあると思うんですけども、ただし、創作そのものに対して真摯である事は、読者においてもありますから、そこおいて、少しでも通じ合うモノあるなら、それは何よりも素敵な事だと思うのです。


【関連活動報告】
創作活動とマーケティングの狭間から
型は大事だと思うけど、型でしかないから
『流行とは何か』を、少しだけ考える
『期待を裏切るな、予想を裏切れ』っていうアレ
うーん(作品と感想、天才性と普遍性)
文学とエンタメの狭間で

コメント全2件
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檸檬 絵郎 様 コメントありがとうございます。

 うーむ、どうでしょう。ネット書籍化が一般的になる前は、公募でプロになるのが常識でしたから、今のようにネット小説サイトを経由してのプロを目指した人はいなかったとは思います。
 つまり、自己研鑽の場所、もしくは、楽しみの為、に書いている人が全て。
 ただ、そうした方々において「プロになれたらいいな」と考えている人が多かったと思いますし、それは今でも変わらないかなー、と。

 なんだろう、ポジティブな感覚でアマチュアでいいという人は、かなり少数派じゃないかなー、とは感じます。 ただ、皮肉なことに、そういう人の方が、プロ向きで、自分の作風というものを、掌握しているんですよね……。
 大抵はそうじゃなく、下手だからアマチュアでいい、みたいなネガティブな場合が多くて、ただ、下手の横好きとして楽しむ姿勢こそ、個人的にはアマチュアイズムの真骨頂だと思うし、作家の人柄も含めて愛せる作品というのは、そういう人じゃないと無理な気もしています。


 檸檬 絵郎様は、いい感じで創作グループを作られていると思います。

 あと、個人的にはツイッターはお勧めできません……。
 あれは、リスクの方が高いですよ。書籍化するなら仕方ないですが、そうじゃないなら、しないほうがいいと思います。やはり、作品でもって語り合う方が、健全というか。
 やはりね、作家同士の嫉妬はすごくあるし、卑屈になって劣等感を表に出す人もいます。繊細な人が多いです。で、自信家も多いです。
 個人的にお気に入りの作家とかでツイッターをしている人とかもいますけども、絶対みません。30%(3人に1人)くらいの確率で嫌いになりますから(笑)。

檸檬 絵郎
2018年03月28日 22:58
「小説家になろう」を最初に知ったときに、
どんな人でも気軽に小説家に、みたいな印象があって、商業作家を目指している方が多いことを知りませんでした。プラスアルファで、そういうこともありえますよ、って程度だとの認識で……

ランキングに載らない仲間、というのは、探すのが難しいですね。特に私はツイッターをやっていないので……
ただ、お気に入りさんのブクマ欄やコメントからたどっていくのも案外楽しかったりします。
私はたまに、レビューを書いたりもするのですが(ついさっきも)、
新着レビュー欄、ジャンルや分量など、細分化ほしいなあ……