譚道。
約200年前にヨーロッパで生まれたスポーツで、左手に小楯、右手に小剣を持って斬り合う。
勝利条件は
相手の小楯と小剣以外の場所に斬りつければ1ポイントで3ポイント先取する。
もしくは、相手の小楯か小剣を吹き飛ばす。この場合は吹き飛した時点で勝利が決まる。
剣も盾も木製で、革鎧を着込んで行う。
2015年の今現在、日本での譚道は剣道や柔道などと並ぶ競技人口を誇っており、学校の部活や趣味として嗜む人がいるのは勿論、プロとして活躍する選手も多くいた。
しかし、元々ヨーロッパ発祥のスポーツということもあり、日本選手とヨーロッパ選手とでは未だに絶大な力の差があり、日本選手が世界の舞台で結果を残すのはまだかなり先になると思われていた。
そんな矢先、日本譚道界を驚かす出来事が起こる。
譚道世界大会の12〜15歳、個人の部で、当時まだ12歳の日本人の少年が優勝したのだ。
少年の名前は鮎川泰斗。
譚道の世界大会は12歳からしか出場できないので、彼にとってはこれが初めての世界大会だった。
実際、彼は日本の小学生の部では負け知らずで常に優勝していたため、世界でも通用するのではないかと期待されていたのだが、まさか優勝するとは誰も思っていなかった。
この出来事は日本譚道界を大きく湧かせ、彼は日本譚道界を背負っていく存在になるかと思われた。
しかし、実際はそうはならなかった。
彼は世界大会で優勝を収めた後、とある事件に巻き込まれて突如、譚道の世界を去ることになったのだ。
ナイフを持って強盗に押し入った男を譚道用の小剣を使って撲殺。
世界大会での優勝から僅か一ヶ月後のことだった。
この件に関して彼は正当防衛が認められ、罪には問われなかった。日本譚道連盟としても、彼の試合出場を禁止するということはなかったのだが、事件後殆どの選手が鮎川泰斗と戦うのを拒否した為、公式の試合に彼が姿を見せることは一度もなかった。
それから三年の月日が経過し、世間が彼の存在をすっかり忘れていた頃、
かつて、天才と呼ばれた少年は再び譚道の世界へと足を踏み入れようとしていた。